教室とタイムライン

空中リプライという行為を知っているだろうか。

Twitter上で@ユーザー名をつけて直接返信をするのが通常のリプライであるのに対して、空中リプライは@ユーザー名をつけずに普通にツイートするが、ある特定の相手には内容からそれが自分に向けてであることがわかるようなツイートをすることである。

 

この空中リプライは、親しいユーザー同士が会話をするときに軽いスタンスで使う場合もあるが、ときに穏やかでない使い方がされる場合もある。

 

穏やかでない場合というのは、フォローされているとわかっていて、あえてその相手を攻撃するようなツイートやその相手を悪く言うツイートをする場合である。

 

タチが悪いのが、この空中リプライは空中とは名ばかりで、たいがいの場合は相手にきっちり届いてしまうということだ。

また、直接相手の名前やユーザー名を掲げてツイートするわけではないため、発信した人が意図していたのとは別のフォロワーが、自分に向けてのツイートなのではないかと無駄に不安させられる場合もある。

 

そのため、穏やかでない内容の空中リプライは、誰に向けてとはっきり言わない分、受け取った相手が誰であろうと何を言おうと、発信した人は何とでも言い訳ができるのである。

 

受け取った人はあきらかにそれが自分へ向けてのツイートだとわかるような内容で、不安になったり傷ついたりしたとしても、どうにもできないのだ。

 

最近、この穏やかでないほうの空中リプライが毎日のように飛んでくる(とはいえ「空中」なのでそう断言もできないのだが)。

嫌味な内容に傷ついたし、もうタイムラインを見ているのもキツくなってログアウトしてしまった。

 

具体的なことは書けないから、私の思い込みが激しいだけだとか自意識過剰だとか思われても、それは仕方がないと思う。

嫌なら見なければいいと言われれば、それまでだ。

 

しかし、自分に向けられているであろう空中リプライにはやはり気づいてしまう。

ツイートされるタイミングや脈絡の無さがどう見ても不自然なのだ。

そして当然のように心は傷つく。

 

ツイートしているのは大学の同期の子だ。

学校では被っている授業がいくつかあるので一緒にいることが多い。

もう付き合いも3年目になるというのに、ここにきて私はその子のことをちゃんと友達だとは思えなくなってしまった。

 

「空中」リプライとはいっても、これはダイレクトに何か嫌味を言うよりよっぽど殺傷力のある行為だと思う。

タイムラインに紛れさせて発散しているつもりでも、相手は直感でそれが自分へ向けられたツイートだと気づいている。

 

それは決して直接は言わない陰口と同じだ。

しかしまた陰口も、どんなに騒がしくても本人にだけははっきりと聞こえてしまうものなのである。

 

空中リプライが自分へ向けたものだと気づいて傷ついて、でもどうすることもできなくてタイムラインから逃げ出した。

だが、心が潰されるこの感覚は、初めて味わうものではなかった。

 

私は中学生のころにも同じような経験をしていたのを思い出した。

同じクラスの男の子たちが、どうやら私の容姿のことを悪く言って盛り上がっていたようなのだ。

 

容姿のコンプレックスはかなりあったし、そんなことは自分がいちばんわかっていた。

自覚があったからこそ、追い討ちをかけるようにそれをあげつらう言葉はどんなコソコソ話でも聞こえてきた。

ニヤニヤ笑いながら話していた男の子たちは決して直接名前こそ出さなかったが、あきらかに私についてネガティヴなことを言っていた。

 

しかし私にはその陰口がはっきり聞こえていたが、仲の良かった女の子たちはそれにまったく気づかなかったのだ。

男の子たちの盛り上がりを見て、なんの話してるんだろうねー?と気にすることはあっても、それがまさか友達である私への陰口だとは微塵も思っていないようだった。

 

だから、当時の私はちゃんとクラスに仲の良い子もいて部活にも精を出していて、順調に学校生活を送っているように見えただろう。

しかし実際は、男の子たちの陰口が聞こえる教室に入るのがほんとうに苦痛で、毎日学校へ向かう足は鉛のように重かった。

でも仲の良い女の子たちや部活の仲間にそんなウィークポイントを知られるのも嫌だったから、学校を休むことはしなかったのだ。

 

まだ中学生で、学校以外に居場所などなかった私にとっては地獄の苦しみだった。

 

ある日の休み時間、私はとうとう耐えかねて、仲の良い子に体調が悪いから保健室に行くとうそを言って教室を抜け出した。

もうあの空間にいるのは限界だと思った。

仮病だったが、心が限界まで潰されてほんとうに体調も悪くなっているような気がした。

 

中学生の私は教室から、大学生の私はタイムラインから逃げ出したのだ。

 

しかし今思うと、中学生のとき思い切って逃げ出すということができたから、こうして立ち直って振り返ることができる今があるのかもしれない。

 

今でも中学生のときと変わらず、苦しみに耐えかねて逃げ出すことがある。

現にTwitterにはまだログインしていない。

しかし、それは私が必死に生き延びていくためのれっきとした方法なのだ。

こう言っては極端なのかもしれないが、死ぬぐらい苦しいときには思い切って逃げ出してしまうというひとつの方法があるということを見失わぬよう、私はこれからも胸の片隅に置いておきたいと思っている。

 

 

〈追記〉

このあと結局Twitterはやめることにした。

初めてアカウントを作ってからもう6年ほど経つが、よくよく考えてみると、人のツイートを見て嫌な気持ちになることはあっても、あぁTwitterやってて良かった!!と思うようなことはなかった気がする。

本文中で「タイムラインから逃げ出した」と書いたが、そもそもタイムラインに居る必要があるという考えになっていたこと自体がおかしかったと思う。

嫌なら、何も考えずにすぐさまやめてしまえば良かったのだ。

私にとっては結局得るものがなかったSNSをやめたところで、失うものも何もないのだから。

何に捉われて、嫌な思いをしてもなおTwitterを続けていたのかわからないが、私はタイムラインを覗くのが習慣化していた状態から変化することを嫌っていただけなのかもしれない。

当たり前のように普段していることが本当に必要なことなのかも考えずに、ただ続けているというのは危険な状態なのだなと思う出来事だった。