風邪を引いて声が出せなくなって

季節の変わり目の記事を書いておいて注意もしていたはずなのだが、まんまと風邪を引いてしまった。

熱が出て頭が割れそうで、2日間記事が書けなかった。

今日は喉以外の体は復活して学校にも来られているし、ただ風邪を引いただけでは悔しいので風邪を引いて考えたことを記事にしておこうと思う。

 

おとといの朝起きると喉がとても痛くて、どれだけ水を飲んでも潤わないほどにガラガラになっていた。

これはやばい、と思いルルを3錠飲んで学校へ行った。

 

その日は2限からで、最初は中国語の授業だった。

あぁ…よりによって語学か……。

これは先生が順番に生徒を指し、発音をさせるのがメインの授業だ。私の番がまわってきて、かろうじて指定された部分は読み切った。

授業が終わって、離れた席にいた友達と落ち合うと、声がガラガラすぎて誰だかわかんなかったと言われた。

自分では声がかすれていると思っていても他人からしたら平気そうに聞こえているということがあるので友達から言われてやっと確信した。

 

昼休みが終わり、4限になった。

PCを使った授業なので発言することがなく助かった。

だがもうこの時間になるとだんだん全身症状が出始めて、普通に座っているのもきつくなった。

 

風邪を引いたとき特有の全身のだるさがある。

だるさとは一口に言っても、みんながみんな同じような感覚でそれをだるさと言っているのだろうか。

私は、軽い筋肉痛が全身にまんべんなく霜降りのように出る感じだ。

全身の皮膚の表面が怪我の治りかけのような感覚になって、冷たいものに体が触れるとぞくっとする。

 

そんなことを考えているうちに授業も終わり、友達に言われるまま帰り道に地元の病院へ直行した。

病院で計ってみると熱も少しあった。

喉がいちばん痛かったが、そんなに赤くないと言われた。

いつも通りの診察もそこそこに、処方せんをもらい病院をあとにした。

薬局で30分ほど待ち、やっと呼ばれたころには熱と疲れでうたた寝してしまっていた。

 

家に帰ると頭痛のひどさに、もうなにもする気力が起きずメイクだけ落として倒れるように寝てしまった(メイクを落とさなかった翌朝の悲惨さを知っているから、どれだけしんどくても本能レベルで洗面所へと足が向くのだ)。

 

次の日、起きたときにはもう履修中の1限の科目が終わっている時間だった。

とりあえず起きてなにか少しでも食べて薬を飲まなければと思いベッドから這い降りた。

一歩歩くごとに頭の中からハンマーで殴られているようなひどい頭痛がした。

喉も砂漠化したかと思うほど水分がなく、喉と喉の壁がくっついてしまうのではないかと怖かった。

 

その日はあと4限と5限とバイトがあったが、起きていることも精一杯だったのですべて休ませてもらった。

残念ながら前日に引き続き記事も書けなかった。

ただ、全身の症状がピークに達していたが食欲はまだあったのでよかった。

食欲があるうちはすぐに復活できるという自分のなかでの目安がある。

 

そして1日寝てすごして今朝起きると、全身のだるさはほぼなくなっていた。

睡眠の力を思い知った。だからお医者さんたちも、とりあえず寝ろが決まり文句になっているのだな。

 

だが喉がまったく良くなっていなかった。

砂漠がさらに広がって深くなっている感じがした。

話そうにも痛すぎて思うように声が出せない。

これは困った。だが体は元気なのでとりあえず学校へ向かった。

 

教室で友達に会うと、あいさつもろくにできないので声が出せないことをジェスチャーで伝えた。

その要領で相づちを打ったり首をふったりで簡単な意思は案外伝わるものだということがわかった。

 

ただ意外と困るのが、言わなくても話は通じるけどニュアンスとしてつけ加えたかったようなことが気軽に言えなくなることだった。

細かく話したければスマホのメモ機能で筆談もできるのだが、会話の流れの早さにはどうしても指がついて行けないし、そういうニュアンス程度の言葉だと、流れに遅れてまで言うほどのことでもなくて、結局言わずじまいになってしまうのだ。

 

でも、言おうかな、でもなぁ、どうしよう、と考えているうちに結局話の流れに遅れてしまって言いたいことが言えないというようなことが、私は普通に生活していてもよくあるなと思った。

いま声がうまく出せなくなって、それが加速している気がする。

 

言えなかったもやもやが消えないときは、たいていそれについて頭の中で深く掘り下げて考えている。

そして小さな考えのまとまりができたときに、それを文にしてメモしておく。

その小さな考えのまとまりが何かしらのテーマでいくつか繋がったときにこうして文にまとめたりしている。

 

声に出して言えないことが増えると、その分飲み込まれた言葉は頭に戻って成長したり、深みが増したりする。

そのときはすぐに言えないもどかしさがあるけれど、長い目でみれば自分のなかで考えを確かなものにできる時間ともいえる気がする。

これが、風邪で喉をやられてうまく声が出せなくなって、言いたい言葉を何度も飲み込んで考えて、私が思ったことである。