ミニカップに思い出を結ぶ

お題「ちょっとした贅沢」

私のちょっとした贅沢は、ハーゲンダッツのアイスクリームを食べることだ。
でも、なんでもない日にぼーっと食べるわけではない。
食べるシチュエーションにこだわりがあるというか、食べたくなるときがだいたい決まっているのだ。

これは男女問わずだが、私は好きな人とたっぷり遊んだ帰り道に、なぜか無性にハーゲンダッツが食べたくなる。
夜遅く電車に乗って最寄駅へ着いたら、近くのファミリーマートに寄ってミニカップをひとつ買って帰るのだ。
そしてその夜寝るまでの間にそれを必ず食べてしまう。決して次の日まで取っておくことはない。

選ぶ味には特にこだわりはない。
そのときの気分で選んでいるが、好きな友達と遊んだ帰りには季節限定の味を、好きな人と会ってきた帰りにはチョコレートブラウニー味を食べることが比較的多い気がする。

今でこそよく食べるハーゲンダッツだが、食べるようになったのはごく最近のことである。

初めて食べたのは2年前の誕生日だ。そして初めて食べた味は、チョコレートブラウニー味だった。

私はもともと、チョコレートブラウニーを作るのも食べるのも大好きで、よく自作して食べていた。売られているものも、食べたことない商品を見つけたらとりあえず買ってみて食べたりしていた。

ハーゲンダッツにチョコレートブラウニー味があるのもうっすらと認識していたが、これは一度も食べたことがなかった。
私はチョコレートブラウニー味どころか、ハーゲンダッツのアイスクリーム自体をずっと食べたことがなかった。

スーパーの安売りのときにハーゲンダッツだけはなぜか値下げしないからという理由で、昔からうちの家の冷凍庫にハーゲンダッツがやってくることはなかった。
値下げしないことがまるで悪かのように親がブーブー言っていたので、なんとなくそのすり込みのようにハーゲンダッツを避けていた。

そうしてハーゲンダッツを食べたことのないまま育ったが、2年前の誕生日にそのイメージは覆ることとなったのだ。

誕生日ならなんか買ったげるよと友達に言われて、ふらっとコンビニへ入った。
そのときは何か甘いものが食べたくて店内をうろうろしていたら、冷凍ショーケースの中にあるチョコレートブラウニー味のハーゲンダッツが目に入ったのだ。

値段を見て、ああやっぱり、たった小さなカップひとつなのにちょっと高いなぁと思った。
しかしまぁ、誕生日にちなんで奢ってくれると友達が言っているのだから、そんなに厚かましくもないだろうと思いそれを買ってもらうことにした。
何気なく買ってもらったそれが、私の人生初ハーゲンダッツとなった。

初めて食べたとき、なんてしっかりとチョコレートブラウニーの味がするのだろうと思った。
アイスクリームなのに、ブラウニーのあの独特の生地の重たさが感じられた。
6,7ミリ角ほどのブラウニーがごろごろと入っているが、それもあくまでこれがアイスクリームであるということを邪魔しない程度でバランスが良いと思った。
そして、小さいと思っていたミニカップはその濃さにちょうど良く、食べ終わるととても満足感があった。

こんなに美味しくて、しかも自分のいちばん好きな洋菓子の味がレギュラーで売られているアイスクリームを私は今まで、ちょっと高いとか親の言っていたイメージを鵜呑みにして買うことを避けていたのだ。

このときは人から買ってもらってだったが、初めてのものを選んで食べてみて良かった。
今まで与えられたことがなくても、もう自分で自由に手に入れることができるのだから、これからは好きなものを食べてみようと思った。
そして私はハーゲンダッツをよく食べるようになった。

好きな人、好きな友達と遊んだ日、家に帰ってゆっくりとミニカップを食べる。

楽しかった1日の思い出をひとつひとつ振り返りながら、ひと口ひと口味わってゆっくり食べ進めていく。

私はそうしてゆっくりとハーゲンダッツを食べることで、アイスクリームの味にその日の大事な思い出を結び留めておく作業をしているのかもしれない。毎回、それぞれの思い出によく合う味を無意識に探している。

今思うと個人的に、チョコレートブラウニー味は好きな人を思い出すのに相性がとても良い気がしている。
好きな人との思い出を結び留めておくのに、バニラでは少し重たさが足りないのだ。

大好きな友達とご飯に行って何時間も話し込んできた帰りには、期間限定の紫いも味を選んで食べた。上品な甘さで、心落ち着く味だった。つらいことを相談して話を聞いてもらっていた後だったから、ささくれ立った心が優しくなだめられていく感じがした。
結び留められたのは楽しいだけの思い出ではないけれど、個人的にとても好きな味のひとつになった。

あっという間に過ぎた楽しい時間を、ただひとりで思い出すのはあまりに寂しい。ハーゲンダッツのアイスクリームは帰ってからの静かな時間を過ごす、私の大事なお伴になってくれている。