家を出たいと思うのは

このところ、家を出たくなることがよくある。

物理的に家という建物から出たいのではなく、「家」というシステムから脱したいと感じるのだ。ここで私のいう「家」とは、家族が一緒にいる共同空間のことである。

私は家族と一緒に実家で暮らしているが、家の中で静かな空間を作れないことに最近とてもストレスを感じるようになった。

私は自分専用のPCを持っていないので、この文はリビングにある家族共用のノートPCで書いている。すぐ横にはテレビがあって、他の人はこの部屋にいるとなぜか必ずと言っていいほどずっとテレビを点けている。

見てもいないのに、BGMのようにとりあえずといった感じでテレビを点けるのだ。私はどうしても見たい番組があるときにしかテレビを点けないのでそれがよく解らないなと思うし、最近この環境がどうも耐え難くなってきている。

そんなに文句を言うなら別の場所でやればいいだろうと思うかもしれないが、それもすぐにはできそうもないのだ。

私にはひとり部屋がなく、母と二人部屋である。だがそこはもはや寝に行くだけの物置兼寝室のようになっていて、実際あまり使っていない。

リビングで作業をすることにストレスを感じはじめたころにポロっとそのことをこぼすと、じゃあそのノートPCを部屋に持って行って使えばいいじゃないかと言われた。

それももちろん考えたのだが、部屋に持って行って使っていたとしても、母と共用の部屋なので母が寝るときになったら消灯で強制退室となる。

私は学校やバイトから帰って夜も深い時間に作業をするので、母はどうしても私より早い時間に寝ることが多い。活動時間帯が違うと、部屋があっても自由に使えない。

よって結局またリビングに戻ることになり、同じことのくり返しなのでそれもできないのだ。

もうひとつ、ストレスを感じるというほどでもないが、親のお酒の飲み方についても少し気になることがあった。

両親は平均して毎日缶の発泡酒を2本ほど飲む。私もお酒は飲むが、2週間に一回飲むか飲まないか程度だ。

夏の終わりごろ、まだ残暑の厳しかったときに急にとても冷え込む日があった。その夜親が缶を片手に、今日は寒いから全然飲めないと言ったのが少し引っかかった。

寒くて飲めないということは、別に飲みたくて飲んでいるわけではないということか。

なんとなく毎日飲んでいるからと缶を開けたのなら、なんかそんな、惰性で飲むのってどうなんだろうと思った。

そういう飲み方がもう何十年も続いていて習慣化しているし、それを私が今さらとやかく言うのも違うかもしれない。でもなんだかこれではダメになりそうだし、私はそういう飲み方はしたくないなと思った。

成人してもなお実家に住ませてもらっていることやご飯を食べさせてもらっていること、大学に行かせてもらっていることが、ありがたいことだというのはもちろん重々承知している。私は養ってもらっているのだ、という意識はしっかりある。

そして、親は基本的に放任主義であまり私に干渉はしてこないが、大事にしてくれてはいるのだろうということは感じる。

しかし、それとこれとはまた別の話なのだ。

今まで一緒に暮らしてきても、血のつながった家族でも、同じ人間ではないのだから考え方は違ってくる。

部屋でやったら?と言われたときも、(私からしたら)変なお酒の飲み方をしているなと思ったときも、もう私は考え方や習慣が家族とたがってきているのだなと感じた。

朝から晩までずっとテレビが点きっぱなしの環境が平気だったり、惰性でお酒を飲む習慣のある「家」が解らなくなってきているのかもしれない。

小さいころは何も知らなかったから、親は何でもできるし完璧だと思っていた。だが自分のできることも増えて考えの幅も広がってくると、親は完璧なんかじゃないし、親どころか世の中には完璧な人なんていないことに気づきはじめてしまう。

反対に、これに気づけなければ自分の価値観は育っていくことができないのだろうなとも思う。

下のきょうだいは親に向かって異を唱えるようなことはしないので、親とも考え方や習慣に一体感がある気がする。

それを見ていると自分がもはや「家」に収まっていては自由がきかなくなってきているのを感じるし、今の私にとって「家」はあまり居心地の良い場所ではなくなってきているような気もしている。