読書もランニングも同じ

学校や会社ではじめての人と会うシチュエーションには、自己紹介がつきものである。

名前、年齢、所属、出身地など定番の項目があるなかで、忘れてはならないのが「趣味」である。

先に挙げた4つの項目は、その人と社会的に関わる上で必要となる、事実として伝えるべき情報である。

それに対して「趣味」は、知らなくても別に困らないけど、その人のひととなりを知ることができる情報だ。

趣味というと、例えばどんなものが思い浮かぶだろうか。

読書、ランニング、料理、映画鑑賞、ゲーム等々、インドアなものからアクティブなものまで人によって様々だろう。

いくつか趣味の代表例ともいえるものを列挙してみたが、これらの趣味を見て、どんな印象を受けただろうか。

例えば、読書とランニングはわかりやすく反対のイメージを持った趣味だと思う。

かたや読書は、基本的には静かな屋内でひとりで座って本を読み、かたやランニングは、街中やランニングコースのある公園など屋外に出て、ひとりもしくは複数人で走る。

まさに静と動といった感じである。

私は、このように一見まったく別物のようなイメージのある趣味や日課であっても、ある条件を持ってそれをしているとどれも同じような性質を持ってくるのではないかと思っている。

その条件とは、続けてやっているということである。

同じことをある程度以上の期間続けていると、その一回一回ごとに調子の良し悪しや受けた感覚、進み具合、出来栄えなどを比較することができるようになる。

読書だったらどれだけ内容が入ってくるかやページの進み具合、ランニングだったら息の上がりやすさやペースなどが、必ずその日によって変化する。

その日ごとの違いを自分で観察することで、今の自分の体調や心のコンディションなどを把握するヒントになると思うのだ。

思うのだ、とは言ったが私がこういう風に考えるようになったのは、数年前に放送されていた「PSYCHO-PASS」というアニメに登場する槙島聖護が話していたことの受け売りからである。

正確には覚えていないのだが、(紙の)本と読書について槙島は、

自分の感覚を調整するためのツールでもある。調子が悪くて本の内容が頭に入ってこないとき、何がそれを妨げているのかを考える。
そして、紙に指で触れたりそれをめくる感覚によって、精神的な調律のようなことをしている。

というような内容のことを言っていた。

面白い考え方だなと思った。

このように槙島が本を読むことによって精神を調律できるのも、読書をずっと続けてきたなかで調子の良かったときや悪かったときと比較することができるからなのだろう。

私の場合はそれまで、一冊読み終わるごとに毎回途切れていた読書という行為の、一回一回がつながりを持った気がしたのである。

この、続けていくことで自分の調子をはかることができるというのは、他のどんなことにも通ずるのではないかと思う。

そして、私にとっての感覚を調整するためのツールは、なんだろうかと考えた。

それは、文を書くことなのかもしれないと思った。

私は前から日記をつけているが、すらすら書ける日もあればなかなか筆の進まない日もあった。文字数もその日によってマチマチだった。

この日ごとの違いを見ることが、自分の調子を知る基準になっているのかなと思った。

それなら、一定の文字数書くことを目標にして毎日書いたら、同じレベルに持って行くための負荷の変化で調子をはかりやすくなるし、自分の考えていることをもっと知れるのではないかと思ったのだ。

このように考えたことも、記事を毎日更新しようと思った理由のひとつである。

更新しはじめて一週間以上が経った。

学校やバイトが詰まっていて、なかなか時間が取れなくてもスムーズに書けるときもあれば、わりと時間が取れてもなかなか書けず、仕上がりも微妙なものになるときもあるということがだんだん掴めてきた。

こうして自分の調子をはかれるのは毎日続けているからこそだと思っているので、調子がどんなに上がらなくても、食らいついて走り続けたいと思っている。