行動原理のふりかえり

私には、好きな言葉が三つある。単に感覚で好きというよりは、行動する上での指針としていたり、物事の判断基準としていたりする言葉だ。
このブログのタイトルである「駄目で元々」が、その一つである。これに関してはまた別の機会に書くつもりだ。

あとの二つはいずれも私の母がよく口にしていた言葉である。それらを私が知ることとなったきっかけや、なぜずっと心に置いておく言葉になったのかをあらためて自分で確認したいと思い、これを書くことにした。

 

ひとつめは「旅の恥はかき捨て」という言葉だ。辞典での意味は「旅先には知人もいないし、長くとどまるわけでもないので、普段ならしないような恥ずかしい言動も平気でやってしまうものだということ」である。(出典:http://kotowaza-allguide.com/ta/tabinohajiwakakisute.html

 

私は母に言われてこの言葉を知った。
先日の記事でも書いたが、中学生のときの私は周囲の目を気にしたり上手くいかなかったときのことを恐れて、なにかをやってみることをなかなかできないでいた。

例えば母と出かけて買い物をしていたとき、お姉さんが試飲のジュースを配っていた。当時の私はそれをひとりで貰いに行くことすら恥ずかしがってできなかった。

そんな私のようすを見かねて母が言ったのが「旅の恥はかき捨て」この言葉である。

今思えば母はこのとき完全に意味を取り違えて使っていた。本来なら先に載せたような、戒めに近い意味で使われる。わざわざこの言葉を引いてきて私に言いたかったのは、おそらくこんなようなことだろう。

出先ではなにをしていてももう会うことのない人ばかりなんだから、自分のふるまいがどう見られるかそんなに恥ずかしがっても仕方ない。とりあえずなんでもやってみなさい。

正反対の意味で使われてしまっていたとはいえ、私はこの言葉のおかげで少し考え方を変えることができた。
時間をかけて噛み砕いて、自分なりの言葉で頭の中に刻んだ。

長いスパンで見れば、人生は旅のようなものだと思う。その長い長い旅のなかで、一歩踏み出すのを怖がって躊躇してしまうようなことがあるかもしれない。しかし考えてみれば、最終的にはその長い旅の道中でつまずいたとしても、死んだときにはすべて消える。それならば、ためらわずにとりあえず色々やってみたほうが、良い物事に巡り合う可能性が高まるのではないだろうか。

 

ふたつめも、先の言葉と同じころにまた母から言われた言葉だ。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」(または、聞くは一時の恥聞かぬは末代の恥)という言葉である。
この言葉の辞典での解説は「知らないことを人に聞くのは、そのときは恥ずかしいと思っても、聞かなければ一生知らぬまま過ごすことになるので、そのほうが恥ずかしい。知らないことを恥ずかしがったり知ったかぶったりせずに、素直に聞いて学ぶべきだという教え」である。(出典:http://kotowaza-allguide.com/ki/kikanuwaissyounohaji.html

 

この言葉を聞いた具体的なきっかけをはっきりとは思い出せないのだが、これもまた私が何かにつけてうじうじと悩みがちな時期だった。

しかし、うじうじはしていたが徐々に私も自分の殻を破りはじめていた。自分の考え方の土台部分は、ゆっくりだが着実に形成されつつあった。そんな時期にこの言葉を聞いた私は、これも自分なりに言い換えてみた。

やるは一時の損、やらぬは一生の損だと思った。

何かをやって、そのときはしんどかったり傷ついたり、遠まわりになったりするかもしれない。だが、いつか回りまわって自分のために実を結ぶ可能性だってある。私はそれを、やるかやらないかで迷ったときに考える基準にしている。

 

こうして振り返ってみると、私が大学に入る以前の考え方や人格の形成には、母が非常に大きく影響を与えているなと感じる。
母から言われたこれらの言葉は、私が迷いを持ったときいつでも心の中にいて、行く先を照らしてくれた。
今では、私が生きていく上での行動原理となっている。
記事を毎日更新しようと決めたのも、これらの言葉に後押しされたからである。


言葉の本来の意味を曲げるなんてそもそも良くないだろうと言われてはそれまでだが、私はそうしてきたおかげで自分のポリシーを見失わず、様々な局面を乗り越えてくることができた。そうするしか道がなかった。

よく「嘘も方便」などと言われるが、曲解や拡大解釈をすることも、悪意がなければ方便と言って良いのではないだろうか。