春の衣替えができない

お題「衣替え」

 

日本には四季の移ろいというものがある。

夏は蒸して暑くなるし、冬はきびしく寒くなる。とても振り幅の広い気候である。
そんな気候の日本に住む私たちは、季節が変わるごとに着る服を変えて、春夏秋冬にうまく順応してきた。


春から夏、薄い上着も仕舞って袖の短いものになっていく。
夏から秋、薄手の上着を羽織りはじめる。
秋から冬、上着を厚くし毛糸のものをよく着るようになる。
冬から春、生地が薄手のものになり上着も脱ぎはじめる。

また、生地の厚さや素材が変わるだけでなく、季節感に合わせて色味も変わっていく。

女性の服でいえば、春には淡い、夏には明るい、秋にはくすんだ、冬には深い色合いのものが多くなる気がする(これは特に調べたわけではなく個人的な好みもあるので一概には言えないが、私の体感ではそんな気がするという話だ)。

 

しかし、機能性だけで言えば、年中同じ色味の服を、生地を分厚くしたり薄くしたり、袖を長くしたり短くしたりして調節すればいいはずだ。
だが店頭に並ぶ服の色味は、実際季節ごとに変化している。
これは季節のめぐりにともなって、人の心の状態も変わっていくことがわかりやすく表れている例のように感じる。

 

夏には開放的な気分になるから、ハメを外しすぎないよう注意しなさいなどと言う言葉を、夏休み前になるとよく耳にする。
そんな浮かれたくなるような季節から秋になる。あんなに長かった日の落ちるのも早まってきて、とくに何があったわけでもないのに、なんだか切ない気持ちになったりする。実際、日照時間が短いと気分が沈みやすくなる傾向があるそうだ。
そしていっそう寒さは増していき、厳しい冬がやってくる。植物や生き物の息吹は鳴りを潜め、人の心もからだも縮こまりがちになる。
やがて雪が解けはじめ、色とりどりの花が咲きはじめる。街にあふれる色彩と呼応するように、人々の心も軽やかになる。


だいたいこのようなイメージが、日本の四季とともに移り変わる人々の心にはあるのではないだろうか。

 

だが、私はこの季節の移り変わりにどうもついていけないのだ。
正確に言えば、季節のめぐる速度に気持ちがついて行けず、取り残される感じがする。

 

とくに私が苦しくなるのは、冬から春への変わり目である。
毎年春になるのがしんどくてたまらない。

 

私がはじめて春を苦しいと感じたのは、高校3年のときである。
高校へ自転車を走らせる川沿いの道には、その年も満開の桜が咲き誇っていた。
前の年まではその桜並木を毎日見ながら登校するのが本当に楽しみだったし、春爛漫の空気を吸い込んで幸せな気分になっていた。

 

しかしその高校3年の春は桜を見て、胸がざわざわする感覚があったのだ。
うららかな空気につつまれた街のなかにいて、私はまだその暖かさに順応できないでいた。

 

その原因は、自分がいちばんわかっていた。
高校3年になって、進路を本格的に考えなければならない時期が迫っていたのである。
周りの子たちはちらほらと行きたい大学の名を口にしたり、はっきりと就職する意思を固めている子もいた。

 

そんな中、私は自分の進路をまったく決められずにいた。
漠然と大学に行きたいとは思っていたが、どんな大学でどんな学科に入りたいかなど具体的なことはわからなかった。
そういうことを調べようともしなかったし、なにより、本気になって自分の人生に悩むのが怖かったのだと思う。

 

冬眠から目覚める生き物のように周りのみんなは少しずつ動きはじめていたのに、私はずっと惰眠をむさぼっていたのだ。

 

結局、無事に大学は決まった。だがその春に感じた重苦しい感覚、動かずにいる自分をわかっていて何もしようとしなかった良くないイメージは今でも拭うことができていない。
私のなかではもう、春という季節と苦しいイメージが結びついてしまったのだ。
私は心の衣替えをできず、春に取り残されてしまった。

 

今私はまたあのときと同じように、進路の選択を迫られている。同じことはもうくり返したくない。今度こそ、動きださなければならない。

私は次の春を晴れやかな気分に衣替えして迎えられるようになるのだろうか。
それを決めるのはきっと、これからやってくる冬に立ち向かっていく自分次第だ。