作文で「地元」を克服したときのこと

 

「わぁ、関西弁めっちゃかわいい、地元どこなのー?」

 

初対面の子たちからそう尋ねられて、私はすぐに答えられたことがなかった。

 

私には、明確にココだ、と言えるような「地元」というものがない。
それが、昔から小さなコンプレックスだった。


今ではまったく気にしていないが、そう思えるようになったのは、ある作文を書いたことがきっかけだった。

 

 

 

私の一家は転勤族である。

 

父が転勤の多い仕事をしていて、私は物心もつかないころから何度も引っ越しをくり返していた。


生まれた病院は兵庫県姫路市にあるらしい。私がやっと歩けるようになったころ、岡山県倉敷市へ引っ越した。

 

私の記憶があるのはこの倉敷に住んでいたころからで、姫路のことはまったく覚えていない。

 

倉敷では幼稚園の途中までを過ごした。幼稚園を変わるとき、私はまだ小さいなりにも、おともだちとの関係を築いていた。

みんなともう会えなくなるんだとわかって、すごく悲しかったのを覚えている。

 

 

引っ越した先は大阪市内の小さな町だった。その町でいちばん高いんじゃないかと思うほどのマンションの最上階に住むことになった。


幼稚園の年長を終え小学校にあがり、6年生になろうかというときに、両親からまた引っ越しの話が出た。


「東京のほうに行くことになるかもしれない。」

 

正直はじめは混乱しかしなかった。「トウキョウ」という地名は、小さな町に住む小学生の私の耳に、あまりにも遠く響いた。

 

さすがに、5年間も一緒に過ごしてきた仲間と別れて知らない土地の人たちの中に放り込まれるのでは、ちょっと可哀想だということで、私の小学校卒業を待って一家は引っ越した。

 


実際に住むことになったのは都内ではなく、東京と千葉の境目にある街だった。
アートのダンボールがまだ半分も空かないうちに、私は中学校の入学式をむかえた。

 

 

入学する前からソフトボール部に入ろうと決めていた。知らない土地で言葉も違う子たちの中に飛び込むには、拠りどころが必要だと思っていた。

 

式が終わり自由時間になると、周りの子たちが話しはじめた。
「ソフト部入るひとー!」と声をあげている輪を見つけたので、
「私もソフト部入ろうと思ってんねんけど…」と持てる勇気をすべて振り絞り話しかけてみた。

「おー、そうなの!入ろ入ろ!え、てか関西!?」

輪の中の1人が、私が大阪弁を話していると気づいて、めずらしそうに聞いてきた。
「あ、うん、そうやねん~。」となんとなく返事をすると立て続けに、
「まじ!?すご~い、関西弁めっちゃかわい~!大阪ー?」と別の子に聞かれた。

 

 

 

このとき、私はすぐに答えられなかった。

 

いちばん長く住んでたのは大阪だけど、生まれたのは姫路だし、岡山にも住んでたからなぁ……全部説明すると長いし、なんて言ったらいいんだろう…。

 


少し考えて、「うん、大阪のほうかなー。」と適当に返してしまった。

 


このときはじめて思った。私の「地元」ってどこなんだろう。
人からたずねられたとき、私はココの人間ですと言える場所が、自分にはないのだ。


今まで暮らしてきたどの土地にも、「地元」と呼べるほどの年数は住んでいなかった。

 

年数ではかるものではないのかもしれないが、行動範囲もせいぜい遠くて隣町くらいという年齢のときに、数年住んでいた程度では、「地元」と呼ぶにはあまりにもその土地のことを知らなすぎたのである。

 

そう思いはじめてから私は「自分はココの人だ!とはっきり言えないこと」に、なんとなくコンプレックスをいだくようになった。

 

 


入学してしばらく経ったある日の国語の授業で、作文を書くことになった。確かお題は「中学生になって思ったことや感じたことについて」だった。


このとき私は「地元」のことについてもやもやしていたのを、すでに忘れかけていた。
新しい土地での新しい生活は、それに悩む暇もないくらいに目まぐるしいものだった。

 

私は中学生になって何を思い、何を感じただろうか。数ヶ月を振りかえって、作文に書くネタを考えていた。


出されたお題は「中学生になって」だったが、私にとってそれは「知らない街に越してきて」と同義だと思った。

中学生になったことよりも、新しい土地に住むようになったことのほうが、私のなかではよっぽどの重大案件だったのだ。

 

とりあえず、書きはじめてみることにした。

文を書いていると、色々なことが思いだされた。
この街の子たちと話して、自分には「地元」と呼べる場所がないと気づいてしまったこと。
もやもやしたこと。不安になったこと。

 

ある瞬間、ふとこんな思いが浮かんだ。
 

私には、長くとどまった「地元」はない。

でも、今まで住んできたすべての土地の空気を吸って、大きくなって、今の私がいるんじゃないか。
色々な町に住んできたからこその、私。ずっとひとところにとどまっていたら、今ここにいる私は存在し得なかったかもしれない。


そう考えると急に、「地元」の有る無しなど、たいした問題ではないと思えるようになった。

今まで住んだ姫路、倉敷、大阪の空気もひっくるめて、私はこれからこの街で生きていけると思った。

 

新しい考えをするきっかけをくれたお題に感謝しながら、私はその思いを作文に託した。

 

 


提出して数日後、国語の先生に声をかけられた。
「この前の作文、よく書けてたね。『今まで住んできたすべての街の空気が、今の私をつくっている』ってところの表現が、すごく好きだよ。」


そう言われたときの感動がいまでも忘れられない。

私が考えたことを認めてくれる人がいた。強い思いを持って書いた文を、好きだと言ってくれる人がいた。

この喜びは、生まれてはじめての感覚だった。

 


それから私は「地元」というものにこだわることがなくなった。


他の人が肯定してくれたのは、思いや考えを整えて文にし、自分の外に出せたからだ。
これを経て、私は文を書くことの持つ力を思い知らされたのだ。

 

 

最近、その感動を思い出すできごとがあり、この記事を書こうと思った。

もしかしたら誰かがこれを読んで、またあの国語の先生のように共感してくれる日が、いつか来るかもしれない。